真鶴町の
石材業の歴史

現存する日本最古の石材産業

真鶴町は、現在存続する石材産業の中で、最も古い歴史を持ちます。町内中部にある石工先祖碑によれば、保元平治の乱(1156年)を逃れてきた土屋格衛によっ石材産業が創設されたとされています。また、奈良時代に作られたとされる岐阜県養老郡時村の竜淵寺の墓石が小松石で作られていると科学的にも確定されており、その頃から小松石が産出され、かなりの広範囲に輸送されていたことがうかがえます。

耐久性や耐火性に優れた石質もさることながら、鎌倉幕府、江戸幕府など、政治の中心となった都市と近かったことも相まって、その規模は大きくなりました。江戸城建造の際には御三家を含む諸大名が丁場を設けて採石を行い、港から大量に小松石を輸送しました。

現在でも見ることができるものとして、皇居の石垣、鎌倉高徳院の大仏の台座、東京・増上寺内の徳川家霊廟など、様々な歴史的建造物に使用されています。

:真鶴半島の岩壁。その上には建物が立ち並ぶ。 / 右上中左: 町内の住宅地にひっそりと佇む石工先祖碑。この碑は江戸時代に再建されたもので、土屋格衛の資料も少なく、この石碑から真鶴の石材業の起源の確証を得ることは難しいが、各地に多く残る同質の墓や石塔から、奈良時代から産業があったことがわかる。/ 右下中右:夏は観光客で栄る琴ヶ浜海岸も、各所に矢の後が見られ、ここでかつて新小松石が採られていたことを物語る。 / 下:石材運搬に初めてトラックが使われ始めた頃。これより前は、牛やトロッコを用いて石を運んでいた。